【ADHD大学生活③】私が「合理的配慮」を受け入れられるまで

大学時代、私はADHDであるにもかかわらず「合理的配慮」という言葉に強い抵抗感を持っていました。
「配慮を求めるのは甘えではないか」「私にはそこまで必要ないはず」──そう思い込み、自分一人でなんとかしようとしていたのです。

でも、ある出来事がきっかけでその考えが少しずつ変わっていきました。ここでは、そのときの体験と感じたことをまとめます。


■ 合理的配慮とは

合理的配慮とは、障害のある人が他の人と平等に生活できるように必要なサポートや調整を行うことです。
外務省の「障がい者権利条約」ではこう定義されています。

障害者が他の者との平等を基礎としてすべての人権および基本的自由を享有・行使するために必要かつ適当な変更及び調整

これは「特別扱い」ではありません。

■ 例えば…

  • ADHDの学生が提出期限を忘れやすい場合、「リマインダー通知を設定する」といったサポート
  • 聴覚過敏のある人に「ヘッドホンの使用を許可する」配慮
  • 車椅子の利用者に「段差をなくす」「スロープを設置する」といった環境改善

いずれも「できないこと」を補い、他の人と同じスタートラインに立つための調整です。
合理的配慮はあくまで「公平」に生活や学習・仕事ができるようにするためのものなのです。


■ 私が合理的配慮を「ずるい」と感じていた理由

私は当時、合理的配慮という考えをどこかで「特別扱い」だと感じていました。

「私はADHDだけど、工夫すれば何とかなる」
「自分で努力していれば問題ないはず」

そう思い込んでいました。実際、毎日細かく手帳に予定を書き込み、ルーティンを作り、授業では前の席に座り、わからないことは友達や先生に質問するなど、努力で補っていました。
だから「私が配慮を求めるなんて、ずるい気がする」と感じていたのです。


■ 授業料免除申請の“うっかりミス”が転機に

そんな私の考えを変えるきっかけになったのは、授業料免除の申請書をうっかり提出し忘れた事件でした。

申請期限を完全に勘違いしていて、気づいたときには3日も過ぎていたのです。

胸が締め付けられるような衝撃と、頭の中を駆け巡る最悪のシナリオ。
「退学?」「親に30万円の授業料を払わせる?」「これからどうなる?」
その夜は眠れず、翌朝一番に大学の事務室へ駆け込みました。


■ 支援室の言葉が心に刺さった

事務室では当然ながら受理してもらえず、私は特別支援学習室に駆け込みました。
事情を話すと、室長さんが優しくこう言いました。

「あなたの努力は正直すごい。でも、それでもどうにもならない部分があるなら、それは社会が配慮すべきことなんじゃないかな?」

「努力でカバーできているからといって、配慮を求めることはずるいことじゃないよ」

その言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。
今まで誰にも認めてもらえなかった「私の努力」を評価してくれたように感じたからです。


■ 合理的配慮を受け入れて思ったこと

私は「自分には大丈夫だ」と思い込んでいましたが、それは努力で無理をしていたからこそ。

「他の人が当たり前にできていることを、自分は毎日必死になって努力しないと維持できない」
これが現実でした。

社会が合理的配慮を行うのは、努力しなくてもいい人に楽をさせるためではなく、すでに努力している人が無理をしすぎないようにするためだと、ようやく気づきました。


✔ ポイントまとめ

  • 合理的配慮は「特別扱い」ではない
  • 障害や特性を持つ人が必要な支援を受けられるためのもの
  • 努力だけで補えない部分はサポートを受けてもいい
  • サポートを願い出ることは弱さではなく、強さ

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