【実体験】ADHDの私が精神障害者福祉手帳を取得したきっかけ/3級手帳は「努力の証明書」

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心理学
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この記事では私のこれまでと、手帳取得のきっかけを、感じたままの言葉で綴ります。

私は大学生のときに ADHD(注意欠如・多動症) の診断を受けました。
現在は26歳でIT関係の仕事をしています。

25歳の6月、ADHDと発覚してから8年の歳月を経て手帳の取得に至りました。

この記事が、これから手帳を検討している方や、身近に手帳取得を検討している人や所持者がいる方にとって学びや救いになれば幸いです。

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精神障害者福祉手帳を取得した私がADHDとして困っていること

私が抱えているADHDの主な症状には以下のようなものがあります。

  • ワーキングメモリの低さ
  • 処理能力の遅さ
  • 転導的注意変遷の多さ(あちこちに意識を取られて集中できない)

それによって生活や仕事でこんな困りごとがあります。

  • 不注意によるミスが多い
  • 優先順位をうまくつけられない
  • 些細な失敗を繰り返し思い出して抜け出せない
  • 何かに夢中でミーティングなどの予定に遅刻してしまう
  • 耳からの情報を理解しにくい
  • 聞いているときは理解できているのに相手が言い終わったころには忘れている
  • 部屋がいつも散らかっている
  • タスクが多いと何もできずに止まってしまう
  • 朝起きられない
  • 夜寝られない
  • タスクを切り替えられない
  • 嫌なことを忘れられずフラッシュバックしてしまう
  • 未来の1つの心配事に固執してしまう

挙げていけばきりがないですが、高校時代、大学時代、社会人になってから、常に「どう生きていくか」を模索してきました。

ADHDとして精神障害者福祉手帳を取得した私の通院歴と服薬状況

精神科への通院は大学1年生の時からでしばらく安定せずでしたが

大学4年生の時からは継続的に毎月受診を続けてきました。

医師との相談の上、薬も服用しています。現在服用している薬は以下の2つです。

  • アトモキセチン(ストラテラのジェネリック医薬品)
  • リーゼ

多動、不注意の抑制を目的にストラテラを服用し、なんとか仕事を続けている状態です。

※服薬は必ず医師や専門家との相談の上行ってください。

ADHDとして精神障害者福祉手帳3級を取得した私の生活と仕事事情

25歳で仕事は大学を卒業してからずっと一般就労で働いており、今の会社は3社目になります。

どの会社もそれぞれ辞めた理由は異なりますが、ざっくり説明するなら、「自分の仕事への能力不足を感じて自信がなかったところに、人間関係での問題が生じてストレスに耐え切れなくなる」というパターンです。

現在は恋人と同棲しながら、生活と仕事を何とか両立させることが出来ています。

恋人にはADHDであることを打ち明けてからお付き合いを始めましたが、職場では打ち明けることはできず、ずっとクローズドで働いています。

恋人が私の障害をよく理解して受け入れてくれていることが、私にとって大きな支えになっています。

これまでは打ち明けられなかったり、打ち明けても拒絶されたりといった経験ばかりだったので、今の恋人には本当に感謝しています。

ADHDとして手帳を取得した決定的きっかけ

今回はじめて障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳) を申請する決断をしたのは、何とか社会生活を送りつつも、ADHDとして生まれついて現代を生き抜いていくことの難しさ限界を感じたからです。

私が手帳の取得を考えた理由は主に以下の3つです。

  1. 発達障害的な特性がある同僚が「やる気がない人」と評価されているのを知り、自分もそう思われるのではないかと強く不安になった
  2. 環境改善や習慣トレーニング、恋人のサポートをもってしても生活が不便で改善の限界を感じた
  3. 「他の人と同じように出来るようにならないと」と自分を追い込み疲弊してしまった/恋人を疲弊させてしまった

特に1つ目は大きなきっかけでした。
「もし自分が大きなミスをして、それが努力不足だと責められたとき、私はどう自分の努力を証明できる?」そんな問いの私なりの答えが「手帳の所持」だったのです。

「環境を工夫すれば」「人より100倍努力すれば」私だって人並みに仕事も生活も送れる。

「みんな自分の生まれ持ったもので頑張ってる」「つらいのは自分だけじゃない」そんな風に思って努力して来ました。

しかしそれでも、私生活、仕事問わず特性によって悩まされる日々「自分でも自分のことを信頼できない」状況が続き心理的に追い詰められていました。

そして、そんな私をフォローして、支えてくれる一番身近で大切な恋人をも疲弊させてしまったことも申し訳なく、ショックな出来事でした。

当時はとても苦しく、出口のない薄暗い道を歩いているようでした。

ギリギリまで頑張っているから、あと一歩先で自分が崩れ落ちてしまうかも、そしてもしかして次に私が次に足を踏み出す場所にはそもそも足場なんてないのかも。

そんな張り詰めた緊張の日々のなか、自分の幸せや生き方を模索した一つの答えが「ADHDとして精神障害者福祉手帳を持つ」ことでした。

ADHDとしての精神障害者福祉手帳3級取得はどんな意味があったか

私にとって手帳の取得はいろいろな意味がありました。

障がい者手帳は私にとって「努力の証明書」であり「福祉へのパスポート」であり「自分への免罪符」でした。

社会に対して、自分に対しての以下のような宣言に近かったと思います。

平均と比べて、社会で生きていくにあたって大変なことが多いです。

それでも努力してここまで色々なことが出来るようになっています。

自分の力を何とか社会に役立てながら、幸せに生きて、周りの人も幸せにしたい。

ときどき大変なことに対して障がい者としてサポートを頂くことを許してください。

その分できることは還元していきます。

還元できる分が「健常者」「定型発達」と呼ばれる人より少ないかもしれません。

申し訳ないですが、許してください。

ずるいと思われる方もいるかもしれません。

私もこれまで、そんなのずるいと思ってきました。

でもお医者様も明確に診断を出していて、努力の末に今、自分の限界を知って

もうこれ以上頑張ることが難しいんです。

だから私が「ほかの人よりできることが少なくても、今できる精一杯やっていれば、それでいいよ」

そんな風に思うことを許してください。

私にとって手帳の取得はそんな意味と期待をはらんだ行動でした。

「障がい者手帳」という名前にどこか恐ろしさを感じて、「自分に手帳なんて必要なのかな?」と長く迷いました。

最終的には先ほど書いたきっかけを通じて、インターネットで手帳について調べ「手帳を取得することに大きなデメリットはない」という情報を信じて申し込みました。

実際、大きなデメリットはありませんでした。

手帳を取得後、私が実際に感じたメリットデメリットはこちらの記事に記載しています。

手帳を取得した時の王道のメリットデメリットもこちらの記事にまとめました。

以上が私が手帳を取得したきっかけでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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