【体験談】ADHDとして子どもを持つ不安。反出生主義に揺れながらも子どもが欲しいと思えるまで

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

この記事ではADHD/ASDでうつの症状も抱える私が、「子どもを持つ」という選択について考えた軌跡をつづります。

私のリアルな葛藤を公開することで、同じような悩みを抱える方、身近に悩みを抱える人がいる方の参考になればうれしいと思っています。

ただしここでは途中、反出生主義などセンシティブな内容を取り扱います。強い考え方に触れるのが苦手な方は慎重に読み進めることをおすすめいたします。

また、この記事で綴るのは個人の内面的な葛藤であり、他者の選択を否定するものでは決してありませんのでご留意のうえお読みください。

自己紹介

日本に住む26歳、ごく普通の女性会社員。

これが、周りの多くの人が私をカテゴライズするときに思い浮かぶ最初のステータスだと思います。

しかし、実際には、今も昔も人並み以上にもがいてもがいて、やっと「普通」という土俵に上がれるギリギリの人間です。

ずっと余裕のない人生を送ってきました。幼少期は家庭環境が悪く、不登校で9年を過ごし、高校に入ったころには小学生低学年レベルの学力しかありませんでした。

何とか挽回したいと思い、高校ではすべての時間を勉強に費やして大学に進学しました。

しかし大学生としての一人暮らし、授業、バイトは何一つうまくいきませんでした。

そこではじめて、私はADHD・ASDの診断を受けます。その後、何とか特性をカバーできるように、環境調整や習慣化などのトレーニング、通院服薬などで努力しました。

そして、いろいろありましたが、今はなんとかIT関係の仕事をして安定した日々を過ごすことが出来ています。

しかし今も様々な困難を抱えていて、子ども時代から抱えていた不安や抑うつの症状と、ADHD/ASDの診断から精神障害者手帳3級を取得しています。

さて、様々な波を経て何とか1人前として漕ぎ出すことが出来ている人生ですが、「自分の家族」「自分の子供」を持つ、というライフステージが訪れました。

きっかけは、2年間付き合ったパートナーとの入籍が決まったことです。

結婚前にも何度も子供については話し合ってきましたが、幼少期にいい思い出が少なく、精神障がいを抱える私にとってはいくら考えても考え足りない、不安の尽きないテーマです。

① ADHDの特性からくる「育児への不安」

まず一つ目の不安は、ADHDの私に親の役割が務まるのかという不安です。

  • 日常生活のキャパオーバー: 自分のことだけで精一杯なのに、命を預かれるのか?
  • ケアレスミスへの不安: 忘れ物、スケジュールの混乱、不注意による事故の懸念。
  • 感情の起伏: 衝動性やイライラが子供に向いてしまうのではないかという恐怖。

今現在、ADHDの私は、正直自分の人生で手一杯です。

きっと多くの人は自然にできている、毎朝起きてから会社に行くまでのタスクでさえToDoリストを見ながら真剣に一つ一つやっていかないと定刻に出勤することが出来ません。

そんな私が、2時間ごとにミルクをあげたり、常に赤ちゃんに気を配って危険がないか見守ったり、おむつを替えたりお風呂に入れたり、できるのでしょうか。

すでに親になった人に話を聞くと、とてもポジティブな話を聞くことが多いです。

「自分もできないと思っていて不安だったけど、子どもができてみればできるようになる」

「子育ては思ってた100倍大変だけど、自分の子供は思ってた200倍かわいいから頑張れる」

これらは、とても元気の出る言葉たちですが、これまで「何もせずともほかの人と同等にできる」という成功体験の乏しい私にはどうしても他人事のように思えてしまします。

自分のような特性があっても子育てはできるのか?

妊娠中、授乳中は今飲んでいる薬も飲めないかもしれないけど大丈夫?

これは子どもを持つという選択を考えたときに真っ先に出てくる大きなテーマでした。

② 「生まれてこない方が幸せ」かもしれない:反出生主義への共鳴

次に出てきたのは、私の特性が遺伝してしまったら、生まれてくる子の人生は、自分がたどってきた人生と同じように大変なものになってしまうのではないかという不安でした。

  • 遺伝への懸念: 自分の生きづらさを子供に引き継がせたくない。
  • 社会への不信感: 発達障害への理解が追いつかない社会で自分の子供が生き抜いていけるか不安。
  • 反出生主義への共感: 自分の経験から「産まないことが最大の愛情」という考えに共感する。

近年、多くの研究で発達特性や性格にはある程度遺伝的要因があると示唆されています。

それが真実だとすれば、私の子供は、多かれ少なかれ私と似た特性を持って生まれてくることが予測されます。

そうなったとき、その子はこの社会でうまく生きていけるだろうか。

人一倍苦しい思いをするんじゃないか。だとしたら、生まれてこない方が幸せなんじゃないか。

そんな風に考えてしまうのです。

みなさんは、「反出生主義」という言葉をご存じでしょうか。

もし生まれてくることがなければあらゆる苦しみを味わうことは決してない。

そして、子どもは生まれるか生まれないかを選ぶことはできないが、親は選ぶことが出来る。

だから、子供の幸せを願うなら、産まないことこそが最大の愛情である、そんな考え方です。

大学生2年生くらいまで、家庭環境やそれまでの社会生活の経験から、私は常に「苦しい、つらい、きえてしまいたい」そんな気持ちを抱えて生きてきました。

生まれてよかったと、幸せを感じるようになったのはごく最近の出来事です。

私にとっては「生きる」と「苦しむ」は常に隣りあわせだったのです。

たからこの「反出生主義」には非常に共感できる部分がありました。自分ももし生まれてきていなかったらあんなに苦しい思いをせずにすんだかもしれない。

とても悲しい考え方で、到底自分の親には言うことが出来ませんが、そんな風に考えたことが何度もあります。

だからこそ、子どもを産むことは私にとって矛盾的な行動で、罪悪感の伴う行動なのです。

③葛藤の現在地:まだまだ悩み中。でも産んでも大丈夫かもと思えるようになった。

ここまで読んでくださったみなさまには、私が子どもを持つことにいかに後ろ向きだったか、十分すぎるくらいにご理解いただけたのではないでしょうか。

そんな私でしたが、最近はだんだんと子どもを持つことに前向きな気持ちも芽生えてきました。

  • 自分と「生まれてくる子」は別の人間だと理解:別の人格、別の特性、別の人生がある。
  • 自分生まれた環境と自分が子供に用意できる環境の違いに目を向けた:準備すればするほど環境は良くなるかもしれない。
  • パートナーや周囲との対話があった: 自分だけで子育てするわけではない。パートナーや家族、地域の支えがある。
  • 心の奥底にあった自分の気持ちを大切にしようと思えた: 赤ちゃんが好き、子どもが好き、自分の子供を抱いてみたいという気持ち。

ついつい、私は勝手に自分の子供を自分と同じ人のように考えて、物事を想定してしまうところがありました。

でも、自分が自分の親と違うように、私の子供も私とは全く別の人間で、全く別の経験をして生きていくことになるでしょう。

そう考えると、苦しみまみれの人生になる以外の道も、大きな確率で存在するのではないでしょうか。

ましてや、生まれてくる子は私が人生の中で出会った最も素敵な男性との子どもです。

きっと彼の素敵な遺伝子も引き継いで生まれてきてくれるはずです。

そして、育っていく環境も違います。

私は極貧家庭で育ちました。お金がかかるものは一切買ってもらえませんでした。

でも、今の私たちには子どもを育てる十分なお金の余裕があります。必要なものを買ってあげることが出来ます。

私の両親はいつも怒鳴りあいの喧嘩をしていていつも兄と私で親が家を出ていくのを止めていました。

私たちはそうはならずに、温かい家庭を築けると思っています。

私の両親は、私が人よりできないことが多いことを今も認めようとしてくれません。

でも私は、生活するうえで困難な特性を持った子供がいることを知っています。

かつての自分の環境と経験を思えば、反出生主義に共感できるとことはありますが、生まれてくる子供は別の人格で、別の環境で、別の人生を歩む。

私がつらい思いをした分、自分の親のいい部分は見習って、悪い部分は反面教師にして子育てをすることが出来る。

そうすれば、自分の子供はいくばくか苦しさの少ない、幸せな時間の多い人生を歩めるんじゃないか。そんな風に思えるようになったのです。

そして、そんな風に不安が緩やかに溶けていくにつれて、自分の中に「子どもが欲しい」という気持ちが眠っていたことに気が付きました。

そんな願望が自分にあるなんて、思いもよらないことでした。

ずっと深い深い奥底にしまい込んでいた思いでした。

そして少し顔を出したとしても「エゴ」だと切り捨ててきてしまっていました。

でも、今では、そんな自分の気持ちを大切にすることは、たとえ「エゴ」だとしても、悪いことではないのかもしれないと思うようになりました。

「子どもが欲しい」という自分のきもちを大切にしてみたいと思えるようになってきたのです。

まとめと今後の展望

揺れ動きながら、自分たちの「正解」を探していく

ここまで、私がADHDという特性を抱えながら「子供を持つこと」に対して抱いてきた不安、そしてそこから少しずつ前を向き始めた今の気持ちを綴ってきました。

正直に言えば、今でも不安や葛藤がゼロになったわけではありません。

ふとした瞬間に「やっぱり私には無理なんじゃないか」「子供に苦労をさせてしまうのではないか」と、暗い考えが頭をよぎることもあります。

きっと、実際に親になったとしても、その悩みは形を変えて続いていくのだと思います。

けれど、今の私には以前までとは違う思いがあります。

それは、「完璧な親になる必要はないけれど、理解しようとする親にはなれる」のではないかという希望です。

自分の特性を知り、対策を学び、苦しさと向き合ってきた私だからこそ、もし子供が同じような壁にぶつかったとき、誰よりも一番の理解者でいてあげられるはず。

そう思えることが、今の私の小さなしるべになっています。

今後の展望

これからの私たちの歩みは、急がず、一歩ずつ進めていこうと思っています。

  • パートナーとの対話: どちらか一方が無理をするのではなく、お互いの弱さを補い合えるチームとしての形をさらに築いていくこと。
  • 専門家との相談: 通院や服薬の調整を含め、医療や福祉のサポートをどう活用するか、今のうちから情報収集を進めること。
  • 自分を愛する練習: 子供を愛するために、まずは特性を持った自分自身を否定せず、今の穏やかな生活を大切に積み重ねていくこと。

「子供を持つ・持たない」の正解は、決して誰かに決められるものではなくてそれぞれの選択だと思っています。

私と同じような特性を持つ方で、勇気をもって子どもを持たない選択をする人もいると思います。

もし今、この記事を読んでくださっているあなたがどんな選択をしても、どうか自分を責めないでほしいと思います。

悩んでいるということは、それだけ「新しい命」に対して誠実で、真剣に向き合っているということなのだと思います。

私たちは、もがいた分だけ、きっと優しい選択ができるはずです。

私のこの不器用な軌跡が、どこかで誰かの心を少しでも軽くする一助となれば、これほど嬉しいことはありません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました