【ADHD大学生活⑤】ADHDの診断から前向きになれるまでの体験談

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はじめに

この記事では、私がADHDの傾向を指摘された高校時代から、はっきりと病院で診断されたボロボロの大学時代、そして多くの失敗を経て、自分と向き合って前向きに生きられるようになった現在までの体験を綴っています。

特に大学時代は、ハチャメチャに失敗し、ハチャメチャに素敵な人たちと出会い、成長して物事を前向きにとらえることが出来るようになった時期でした。

この体験談がみなさまにとって面白いコンテンツや、参考になるコンテンツになれば幸いです。


はじめてADHDの傾向があると病院で言われたとき、私は大学受験に追われる高校3年生でした。

ずっと「頑張りさえすれば何だってできるようになる」と信じて努力してきた私にとって、自分が基礎的な能力でほかの人に及ばないと示されるのは思っていた以上にショックでした。

「私は普通じゃないんだ」
「努力だけでは超えられない壁があるんだ」

そんな衝撃と葛藤の中で、私は自分なりに対策を模索しながら大学生活を送ることになりました。

■ ADHDの傾向を指摘された高校時代

高校3年生の秋、私は毎日のようにケアレスミスや忘れ物を繰り返し、少しずつ自信を失って消耗していました。

どうして私はこんなに忘れ物をしてしまうの?

みんなはそんなに困ってなさそうだけど本当はみんな大変なの?

私が今苦労しているのは小学校、中学校に行けてなかったからなのかな?

板書するのみんなに追いつけない。

どうしていつまでたっても計算がこんなに苦手なの?

日々の疑問を私は手持ちのノートPCに打ち込み続け、克服する方法をインターネットで探し続けました。

そこで、同じように困難を抱える人たちがいることを知りました。

そして、自分はADHDやASDという発達障害じゃないかと疑うようになりました。

両親に相談した時のことをよく覚えています。

はじめは落ち着いて話を聞いてくれた両親でしたが、忘れ物やケアレスミスは誰にでもある、何かを始めるのが億劫でできないのも当たり前のことだと何度も諭されてしまいました。

そして、一緒に病院に行くことにも簡単には同意してくれませんでした。

その時の私にとっては、日々の困りごとや辛さを打ち明けた大きな告白を、両親に受け止めてもらえなかったこともとても辛かったのだと思います。

それでも、子供時代のめちゃくちゃな癇癪や、夜の明かりを嫌がっていたこと、頑ななこだわりは、発達障害の特徴だと説明して、泣いてどうしても受診したいという私の願いを聞き入れる形で心療内科を受診して医師にこう告げられました。

「断定はできませんがあなたはADHD(注意欠如・多動症)の傾向があります」

病院からの帰り道、「自分次第でなんでもできる」という幻想の崩壊で心が重く沈んだのを覚えています。

しかし同時に、自分が人よりうまくできないことがあるのは、私が怠けていたからではないと証明されたようで、少しほっとしている自分もいました。

■ 大学生活でADHDの特殊能力「衝動性」で何でも手を出して破滅

大学に入学してからは授業だけではなくて、サークルや友人関係、一人暮らしにも悩まされることになりました。なんでもやってみて、結局何もできなかった。そんな日々でした。

小学校、中学校に行っていなかった私は、高校生の間はほとんど勉強しかしていない毎日を送っていました。大学に進学して、不登校の子供たちを支援できるような先生になりたかったからです。

しかし、高校生であらゆる娯楽をシャットアウトしていた、大きな反動が大学入学と同時に訪れました。

あれもこれも気になる、何でもやってみたい、YESかNOか判断する必要があるときは基本YES、そんな毎日で、大学生活は始まって早々てんやわんやになりました。

授業は1年生が取れる単位数限界まで取り、バイトも始め、サークルには5つも入り、自動車学校にも通い始めました。実家から遠い大学だったので一人暮らしを始めていましたし、授業料免除や給付の奨学金をもらうため成績を保つ必要もありました。

今思えばどんな人でも、こんな生活長くは続けられません。

早々に様々なところが破綻し始めました。授業の出席はボロボロで、忘れ物や遅刻、ミスの多さが目立ちました。

そして、バイトは授業の多さやサークル活動の多さから、シフトになかなか入れず、もともと覚えるのが苦手なのに、経験を積むこともできず苦手意識だけが募って休みがちになりました。

サークルは、スケジュールを忘れていたり、練習に時間をさけなかったりしたことで徐々にいけなくなりました。

自動車学校は卒業までに1年以上かかりました。

授業、友人関係、バイト、サークル、…どれもボロボロで生活は成り立っていませんでした。

なんと授業料免除の申請もうっかりで逃してしまったりしました。

私の人生の責任者は自分自身「生活をマネジメント」し始める

ここまで失敗してようやく誰も自分の人生の責任を取ってくれる人はいない。

自分が最高責任者で、自分で自分の生活や人生を「マネジメント」するんだ!という意識が芽生えました。

みなさんからすると当たり前のことのように思えるかもしれませんが、私にとっては大きな気づきでした。

そう気づいてからは手帳などでスケジュール管理をしたり、自分の「体力」や「やる気が出るかどうか」などを俯瞰的に見れるようになったり、いろいろと工夫がはかどりました。

  • 毎日手帳に持ち物を書き出す
  • モーニングルーティンを作る
  • 周囲に助けを求める

少しずつ日常をコントロールできるようにり、いつもいっぱいいっぱいで限界すれすれを生きるんじゃなくて「もっと余裕をもって生きたい」と感じ始めたのもこの頃です。

ここから、自分の特性をよりよく知って、いいところも悪いところも受け入れて、じゃあそれをどう生かす?じゃあそれをどう防ぐ?そんな思考で前に進んでいこうと思えるようになりました。

■ ADHDの特性は欠点だけではないという気づきも得た

ハチャメチャな大学生生活で、自分の悪いところ、不出来なところ、厄介な特性が嫌ほど露になってきました。

しかし、一方で自分のいい面も発見することが出来てきました。

ADHDの特性は確かに生きづらさを伴いますが、悪いことばかりではなかったのです。

私は興味のある分野では深く集中でき、新しいアイデアを次々に思いつくことができました。周りの友人や教授にもよく驚いてもらえ、とても嬉しかったのを覚えています。

「君の発想力はすごいよ」
「そんな考え方、私にはなかった」

「これだけの考えを言葉にしてまとめられる力があるのはすごい」

そんな言葉を頂くたびにたとえこれが、裏を返せば衝動性だったり、過集中と呼ばれるものの副産物であったとしても「これは私の個性として、強みとして誇りを持っていいのかもしれない」と思えるようになりました。

■ これからの目標

私が見つけた答えは、「自分の特性に合った生き方を探す」ということです。

私はいつからか完璧主義(あれだけ破綻していて矛盾しているようですが、目指しているのは常になんでもどれだけでもできる完ぺきな人)でしたが、今は完璧主義をやめようと努力しています。


得意なことを伸ばして、苦手なことはサポートを受ける。

得意なことで周りを助けて、苦手なところは助けてもらう。

そんな意識をもって何とかバランスよく生きていけるように今も生き方を模索し続けています。

ボロボロに破綻して初めて、自分の限界を知り、自分を見つめなおし、前向きに自分に合った生き方を探し始めることができた私の体験談、いかがだったでしょうか。

こんなに長い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

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